鴨川市、江見海水浴場にあらわれた「江見海の家 HAPPY」。前回は店長の仲丸さんが作る、最高に美味しいモツ煮丼の秘密を紹介した。
ところで、そもそも海の家とは一体なんなのだろう?
海開きとともに看板があがり、ビーチに訪れる客が集まるが、夏が終わるといつの間にか消えてしまう。コロナ禍の4年間店が開かれなかったということは、海の家の経営だけで生計をたてている人がいるわけではないのだろう。ならば今年は誰がどうしてこの海の家を開き、どんな人たちが切り盛りしているのだろう?その物語を伺った。
海の疲れを癒すために料理した、年季の入ったサーファー飯
店長の仲丸明宏(なかまる・あきひろ)さんと、お手伝いの岡田律子(おかだ・りつこ)さんは、毎日朝出勤して、海の家を開ける。仲丸さんが仕入れから仕込み、調理を担当し、岡田さんは掃除と配膳、レジを手伝う。
仲丸さんは江見の波に惚れ込んで、東京から20年以上通い続けているサーファーだ。江見ビーチのそばにかつてあった民宿「山田屋」を利用して海を訪れていたが、いつも遊ばせてもらう海に恩返しをしようと、地元の人に混じって仲間とビーチクリーニングに参加し始めた。少しずつ地元に溶け込んだ仲丸さんは、地域の人の紹介で家を借りて毎週末訪れるようになった。
江見海の家 HAPPYが今年開かれた経緯はこうだ。この夏、江見で4年ぶりに海開きがあると知り、江見の名物焼き鳥屋「鳥八」の店主佐倉さんが、近所に住むお常連のサーファー、小河さんに声をかけた。「鳥八」はコロナ禍前まで何十年もの間、「江見海の家」を管理してきた老舗だ。「江見の海を盛り上げよう」と小河さんが出資して、海の仲間と共に店を出すことを決意した。
「で、誰が店をやる?」
白羽の矢が当たったのが仲丸さんだ。この春タイミングよく定年退職した仲丸さんには、特技があった。「煮込み」だ。海に入って疲れた体を癒すサーフィン飯が、仲間内で評判だった。素材にこだわったモツ煮やキムチ鍋。自家製スープで作るラーメンに、具がたっぷりのカレーライス。仲丸さんが作る料理を食べに、海の隠れ家に人が自然と集まった。
「いつも人にご飯作ってるんだから、やらない?って小河さんに声かけられてね。ちょっと面白そうだなって。人をもてなすのは大好きだったから。海の家なんて、ほとんどの人が人生でやった経験ないでしょ?やったことがないことは、やってみようって。みんなで江見の海を盛り上げよう、って思いで集まった、地元と海好きの人たちの活動の一環なんですよ。波乗りだけしてたって面白くないからね。」と仲丸さんは振り返る。
「やりたいことリスト」のひとつだった海の家
店を手伝う岡田さん、なんと散歩の道中で出会った仲丸さんに、立ち話で「海の家をやるよ」と聞いて、自分から「手伝わせて!」と手を挙げたという。仲丸さんとは散歩の途中ですれ違えば挨拶する程度の知り合いで、それまで飲食店で働いた経験すらなかった。
「『人生でやりたいことリスト』ってあるじゃないですか、映画とかで。私ね、自分用に、そのとても長い夢のリストを持っていて」と笑いながら話す岡田さん。「一つ一つ、夢を叶えてはそのリストを潰してきたんですけれど。『海の家で働く』、が実はリストに入っていたんですよ。だから、話を聞いた時に、手伝わせてください!って思わず言っちゃったんですよね」。
「自分はごく普通の人だから、話すことなんてなにもなくて…」という岡田さんだが、なんの物語もない人が通りすがりで聞いた話に、そんなふうに自ら巻き込まれにいくだろうか?「えーと、その人生でやりたいことリストって、他にどんなものがあったんですか?」と少しつっこんで聞くと、岡田さんの挑戦好きの人生がかいま見えた。
「たとえば、46歳の時にイギリス留学に3ヶ月行きましたね。その年、中型バイクの免許も取りました。中型免許は大変で、自分でもかなり頑張ったなと思います(笑)。その後、50歳でニュージーランドに5週間ホームステイしました」。
岡田さんの夢は一つ一つが大がかりで、やり遂げるのが大変なものばかりのようだ。都内にあるドイツ系の外資企業で働いていた岡田さんが3年前に江見の海辺に住み始めたのも、そのリストに「海の見える家に住む」があったからだという。
「海が好きで、房総半島には何度も来ていたんです。千倉にあった写真家の浅井慎平さんの『海洋美術館』*を訪ねたときに、このあたりの海町の雰囲気が気に入ったんです。窓を開けたら海が見える家を何十年も探していて、仕事を退職した年に、思い描いていた理想の家が見つかって」。鴨川に移住してからも、ヨガやギターなどやりたいことを次々に潰している岡田さん。暮らしが落ち着いてきた3年目の春、舞い込んできたのが海の家の出店だったのだ。「求めよ、さらば与えられん」とはこのことかもしれない。
*海洋美術館は2018年に閉鎖となった。
お父さんが飲み干せて、子供にはしっかりカツオ味のスープを
店を出すと決まり、ビーチで基礎工事が始まった。砂浜を掘り、杭を60本入れて、3週間かけて建物が組み上がった。保健所の厳しい検査を通過し、開店が現実になった。しかし、飲食店の経験は生まれて初めての仲丸さん。店のメニューは仲間とみんなで決めた。
「できる料理しかやらないよ!って宣言しましてね。自信のある煮込み料理とラーメン、カレーライスは出そうって最初に決めました。あとは、簡単に出せて、子供も大人もみんな好きな枝豆とフライドポテトにチップス、それから、子供のためのかき氷しようって決まりましたね」。
驚いたことに、ラーメンに使うスープは注文した人の顔を見て、大人と子供で味付けを微妙に分けているという。「化学調味料はいっさい使っていないんです。お父さんと子供がそれぞれにラーメンを頼んだ時、お父さんには、健康を気にせず飲み干せるスープを出して、お子さん用には鰹だしで子供が好きな味にしているんですよ」。
サーフィン仲間が食べに立ち寄るたびに、味付けの意見を聞く。「味はしみてる?」「濃すぎないか?」フィードバックを受けて日々少しずつ改善している。初めての海の家の料理人、やってみてどうですか?
「面白いです。お客さんが美味しそうに食べているのを見られるから。お店に訪れるお客さんに食事を出すのは、家族や仲間に振る舞うのとはまた違うから。美味しかったよって言ってもらえると、やっぱり嬉しいですよね」、と仲丸さんはうなずく。
素人の集まり。だからこそ新鮮で、居心地がいい
「鳥八」にとっては長年続けてきた海の家だが、今年の経営者と店長にとっては初めての試み。地元の人たちと海好きの集まりが、大好きな江見の海と町を盛り上げて、観光客を呼び込むための地道な挑戦の一つだ。
「素人の集まりですから。仲間が得意なことを持ち寄って、できる範囲でやっているよ」と仲丸さんは言うが、素人と玄人の違いとはなんだろうか。
コロナ禍で、2019年から2022年までの4年間、房総半島の海水浴場の多くが開かなかった。世界で何が起きようと海は変わらずそこにある。しかし海水浴場は、毎年あるとはかぎらないのだと思い知った。4回分の夏、人の賑わいが絶えた海を見ていた人たちが「今年こそ」と手を上げたから、今こうして海の家がここにある。
HAPPYは、江見の海に入り浸り、海飯を食べてきた「江見の海の玄人たち」が集まってできた店なのかもしれない。長年試行錯誤を重ねたスープと煮込み料理が、初めて来る客に振る舞われる。接客は初めてだけどこの海が大好きな店主と店員さんだからこそ、対応が新鮮で、愛情と好奇心に溢れていて、居心地がいい。
素人のような玄人。遊びのようで真剣勝負。これは自由極めた、ひと夏の大人たちの挑戦の物語かもしれない。
とはいえ海の家だから、開店は夏限定だ。江見海水浴場の営業は8月27日まで。長く続けてほしいが、夏の終わりがきて店がたたまれ、また来年開くのを待つ楽しみもあるかもしれない。鴨川エリアへお立ち寄りの方は、お腹を空かせて、絶品の海飯をぜひご賞味いただきたい。
江見海の家 HAPPY
住所 千葉県 鴨川市 東江見地先海岸 江見海水浴場内
アクセス 安房鴨川駅から館山方面に車で15分
営業時間 10:00-16:00(天候等による臨時休業あり)
駐車場 あり(海水浴場併設)
トイレ あり(海水浴場併設)
支払方法 クレジットカード、電子マネー対応
注意事項 2023年夏の海開き期間は7月27日~8月27日。※HAPPYの今年の閉店日はまだ未定です。
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